あたらしい風を―――あなたのための「魔法のマイク」― at 2003 07/15 もう5,6年前のことだが町の図書館で「社会教育」という月刊誌を読んでいたとき、「これだ!」と飛びつきたくなるような話がのっていた。 『――従来の学習というのはカキクケコだった―――。 カタイ、キビシイ、クルシイ、ケンイテキ、コワイ――である』 『これからは体験的参加型学習が肝要だ。 アイウエオの学習である―――。 アカルイ、イイカゲン、ウレシイ、エガオデ、オモシロイ―――』 体験型参加学習はワークショップと呼ばれて近年では日本全国で定着している。 その特徴を掲げてみよう。 一つ目は、「学習する内容より過程を重視する」ことだ。 たとえば、アタシの掲示板でウタリ問題についてみんなと論議するとしよう。 アタシがウタリについて知りうる知識をみんなで話し合い報告することよりも、全国のみんなの地域性による相違点、今日の天気の違いなどを発見した情報交換、そのようなプロセスのほうが重要だったりする――、そういう意味において、だ。 二つ目は、「双方のコミュニケーションによる対等」な関係作りである。 これも、掲示板という小さな広場でも例えることができる。 アタシは匿名性に辟易し、これらをなんとか排除し、懇意にしてきた方々と住所と名前を交換してきた。 お互いがお互いに責任をもった発言をしよう、という「態度」の一歩である。 アタシは相手に手紙と顔写真を送る。 写真はアタシ一人だといかにも変態気味なので(笑)、アタシ自慢のハニーと一緒のところをピックアップしてみたりする(笑。 「なんや、まるくん言うてることも大層立派やが、まぁお顔も凛々しいこと♪・・」なんて言うてはるかどうかは知る由もないです♪(笑 だいたい皆さん、10人が10人・・・「まるくんのハニーはほんまにお美しい・・・」なんてお手紙ばかりで内心、ムッとしてたりしてます(笑 匿名性から無名性へ、そして顔写真による有名性により、相手が女性であっとしても「安心感」という対等な関係性が築けるはずだ。 いっときますけど、お相手の女性たちからは断じて顔写真求めてやしませんからね(笑。 ここのところが肝要です(笑。 そして、【対等な関係性】にとても邪魔な年齢や性別や職業などは極力排除して、お互いことばを重ね、交わすことだ。 ところで、これ、ホンマのことやから、例え、になってないやん(笑。 三つ目は「ファシリテーターという促進的指導者」がいることだ。 有益な学習は、教師と生徒、医者と患者という立場ではゼッタイありえない。 ファシリテーターはフランス語でアニマトゥールともいう。 アニマはアニメーションであり、アニミズムのアニマでもある。 すべてのものに命がある、すべてのものに神が宿っている、という考え方だ。 石ころにも神様が宿っている、というような・・・・。 アタシのごく個人的な【立場】であるが、アタシは『人権教育と同じく、いや同等以上にこの思想=信条に深く啓蒙している』立場であります(笑)。 このことは、またいつか機会があればお話する機会があるかもしれない・・・・。 いや、やめとこうかな(爆 アニマにもどるが、ようは学習するときに学習者が生き生きとできるようにする、学習に命の息吹を送る、学習者から命をひきだすという意味も込められているのだ。 ―――今日はみんなと「魔法のランプ」というワークショップをしてみよう。 机にあるコップを仮にマイクとみなして、グループで話し合うのだ。 このコップ=マイクを持った人以外は話はできないというルールをまず作っておく。 これを持っている人は発言が保証され、他の人は口を挟めない。 これをやると、普段、ついグチグチ他人の話にチャチを入れたり、批判的であったり、人の発言を遮る人はできないわけだ。 反して、普段口数の少ない人でも安心して喋れるわけだ。 どうです? なにかに置き換えてみると、あなたがたの周りで気づきませんか? そうです、あなたの職場などでいかがです? 家庭で子たちに対して、あるいは高齢者に対してどうです? 地域の寄り合いなどでどうです? ひとつのものを作り上げるうえで、上司と部下というややこしい力関係がはびこっていると、よい意見も封殺されてきたり、また普段の自分たちがどういう力関係のもとに発言が左右されてきたか、また逆にいかに人の意見を封殺してきたか、が自覚できませんか? 魔法のマイクひとつで、あなたの環境と意識も変わりうるのです。 まるくんの手帳を読み重ねてきて、魔法のマイクを持ってみたいと思う方は男女問わずお知らせくださいね。 もちろん、まずはアタシの住所と名前をこっそりお教えします。 ―― あ た ら し い 風 ―― at 2003 07/17 ―あたらしい風― 1995年12月、「人権教育のための国連10年」が国連総会で決議された。 なんとはやくも最終年間近かなのである。 この国連総会で提唱された行動計画によれば、人権教育という概念は以下のような内容で規定されている。 『――人権教育とは、知識とスキルを分かち伝え、態度を育むことを通して、人権の文化を世界中に築こうとする教育・訓練・宣伝・情報提供と取り組み――』とある。 そして、1989年、人権教育の10年組織委員会では、人権教育を次のように規定している。 『――人権教育とは、人権が人間社会と社会関係の基本原則だという自覚を高めるために あらゆるところで自己尊重できるような芸術的・活動的・学問的なあらゆる経験をさす――』 ―あたらしい風―とは、あなたがたの技能と態度を育むことだ。 平和のために、安心のために、あなたのために、あなたの大切な人のために―――。 【行動力】を養う【技能】について少しだけ触れておきたい―――。 ―――アタシがある町の公園のベンチでボーッとしていたとしよう。 そうしたら、その町の小学生数人が通りかかり、アタシを見て、 「おい、なにしてんねん!このアホヅラ!」と言ったとする。 どう対応すべきかの技能について、みんなはあまり整理できていないであろう。 定式化されているものがあるのである。 まず、自分にとって不快であれば、不快であることを告げる。 次になぜそのような発言をしたかは理解できることを告げる。またはその逆を。 では、どのように呼んで欲しいかを伝える。 このように定式化した技能を学ぶのも人権教育である。 そして、これまでになかったあたらしい風を紹介したい。 それは、――『人権文化を世界のあらゆるなかに築こう』――ということだ。 これはこれまでの人権教育・啓発との対比でいくと、ありがちな「一人一人の人権意識を高めよう」という掛け声のような、前回「建前」と伝えた「人権意識を高める」のではなく、「人権の文化に満ち溢れた社会を作ろう」ということだ。 心・・・の問題にとどめるのではなく、具現化なのだ。 心のなかの問題ではない。態度、行動なのである! ―――たとえば、あなたが、はじめて訪れた○○の町の駅に降り立つとしよう。 いわゆる規制などが考慮され、人権文化行政を据えて作られた美しい町並みや道路。 ノーマライゼーションなどは「当たり前」の町づくりになっている。 行き交う人々は、皆明るい。 夢ではない。住民一人ひとりが人権意識に根付いて参画した町づくり・・・・・・。 駅のプラットホームに降りたとたん、無性に友達を作りたくなる。 通る人、通る人と何となく友達のような気がして、自分が○○の町を歩くのが嬉しくなってくる。大事にしてもらえているという気持ちにさせられる。 「私」は一人ではない。 「あなた」がいるから! ―――このような「まちづくり」をすることが「人権文化を築く」ということだ。 「何処」でもない。 「此処」にそれを築いていくのだ。 あなた!のために、あなた!の力で!! ―【フンコロガシの旅は青空】を読んでみてください!! アタシは、まさしく―歩く人権文化―ではないですか(笑。 何度か紹介した誰にでもビビビ♪の【本質】がようやく、わかりもしましたか?(笑 一年かけて、隠し絵のように、あちこちに【気づき】はちりばめられているのです。 「まるくん、君の力の源泉はなに?」実生活でもよく問われます。 そんなもんは、笑い飛ばします。 いえ、笑ってるようで、実はアタシは常に「怒って」います・・・・・・。 「あなたが!」、あいもかわらずショウモナイから・・・・・ナサケナイ存在だから・・・。 愛すべき・・・・に足りえてないから・・・・・。 何故か? 答えは、あなたが発見してください! とりもなおさず、あなたに新しい風を吹かせて欲しいからです。 ジャンル別一覧
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